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この旅行記も1年がかりでやっと終わりです。旅を通じて感じた事を書いてみようと思います。

パリやブリュッセルを旅して感じたのは、現地の人は相手がだれであれ「ボンジュール」と挨拶し、挨拶された方も「ボンジュール」で返し、そこから会話が始まるということです。
「ボンジュール」を直訳すれば「こんにちは」ですが、よくよく考えると「こんにちは」はこういう使い方はしませんよね。例えば、店員から「いらっしゃいませ、こんにちは〜」と挨拶されて、客が「こんにちは」で返すことはあまり無く、「すいません、○○ありますか?」といきなり本題に入るのが普通ではないでしょうか。仕事関係の挨拶なら「お疲れさまです」に「お疲れさま」で返しますが、もっと近しい関係なら挨拶もそこそこに本題に入るでしょう。
我々が「こんにちは」に対して「こんにちは」と挨拶するのは、近所の人とか、登山者同士とか「さほど親しくもないが、疎遠でもない」微妙な関係の人とだけです。外国人の「コンニチワー」に違和感を感じるのは、彼らが「ボンジュール」や「ハロー」と同じ感覚で使っているからだと思います。
つまり「ボンジュール」と「こんにちは」は似て異なるのです。

「パン」と「白米」はどちらも炭水化物で「主食」ですが、やはり似て異なるものだと思います。以前の記事でスイーツのハーモニーについて「東京は主役と脇役がそれぞれの分をわきまえている文芸作品。パリは主役も脇役も個性がぶつかり合うミニシアター系」と書きましたが、料理と主食にも同じことが言えると感じました。白米はそれ自体に強い味は無く、それゆえ主役の料理を引き立てる名脇役です。一方、パリやブリュッセルのレストランで出てくるパンは味わいも歯ごたえもしっかりしていて、料理の脇役というよりパートナーでした。
東京の料理がけっこう美味しいビストロでも、柔らかくて淡白な「白米」っぽいパンが出てくる事が多いですが、やはり日本人はパンにも脇役を期待してるのかも。

こういった「味のハーモニー」の違いがなぜ生まれるのか…たぶん水の硬度の違いではないかと思っています。水が軟水で淡白なら料理やスイーツの味のハーモニーも繊細に、風味の強い硬水なら味の個性がぶつかり合うような骨太のハーモニーになるのではないでしょうか。「コーヒーが濃い国はスイーツが甘い」という仮説も以前書きましたが、これも同じ理由によるものだと考えています。硬水でコーヒーを淹れる→濃くしたくなる→バランスをとってスイーツは甘くなるという理屈です。あくまでの私個人の「仮説」ですが…

この仮説を検証するには、もっと色々な国や地域で食べ歩く必要があります。しかし限られた時間の中での食べ歩きには思わぬ障害があることも今回の旅行でよく分かりました。それは「自分の胃袋の限界」です。残念ながらどんなに頑張ってもお腹いっぱい以上に食べる事はできません。今回食べきれなかった料理やお店がたくさんあります。今度渡欧する機会があった時、再びパリを訪れるか、それとも他の都市にするか、悩ましいところです。
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