先日、仕事で調べ物をしていて、この美人画に目が止まりました。

現代的な可愛らしさがあって、てっきり最近の日本画家の作品だと思ったのですそうではありませんでした。江戸時代後期の京都で活躍した肉筆浮世絵師でした。

私はどうも浮世絵の美人画は馴染めませんでした。お茶屋の看板娘も、廓に君臨する花魁も、みんな同じ顔、同じ表情。どんな人だったか全然伝わって来ません。

それぞれの個性は否定され、一つの美人像にあてはめられているように感じます。

なぜ描く方も鑑賞する方もこれに満足していたのかずっと疑問だったのですが、江戸後期になると女性の個性を描こうとした絵師も少なからずいたようで、祇園井特もその一人なのだそうです。


例えばこの「美人図(左)」。 美人画としてみると、えっ?と思いますが、こういう雰囲気で魅力的な女性はいますよね。たとえば気象予報士の半井小絵さんや歌手の岡本真夜さんとか。彼は悪意やからかいでなく、本気でこの女性を美しいと感じていたのだと思います。

さらにこの資料10ページ目右下の図22「娘半身図」。 呼び止められて振り返る女性の表情を活き活きと写してます。アイドルの写真集みたい。女性がふとした瞬間にみせる何気ない表情に魅かれることはよくありますが、その気持ちを素直に絵にしているのだと感じます。 

こんな直球の美人画もありますが、やはりどこか現代的。

美人画の類型的な女性の描き方に飽き足らない人々のニーズにマッチしたのか、個性を描き出す彼のリアリズムは人気があったそうです。 ただ、他の浮世絵のような版画ではなく、肉筆画家として活躍していたので、メジャーなトレンドではなかったのかもしれません。

彼の絵が現代的に見える、ということは、当時より現代の方が一人一人の個性が認められる世の中なのだと思います。 美しさの基準は多様になり、美人という言葉のイメージも曖昧になってきました。

しかし、女性誌の美容ページに目を通すとデカ目、美白の文字が踊ります。ポートレートの教科書には女性は露出オーバーで色白に撮れと書いてある一方、男性ポートレートは被写体の個性を引き出せ、と書いてあります。

彼の時代から200年弱経ちましたが、一人一人の個性や人格が尊重され、ありのまま胸を張って生きられる時代まで、我々の生きる現代もまた道半ばなのかもしれません。
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