朝香宮邸
東京都庭園美術館で開催中の「旧朝香宮邸のアール・デコ展」に行ってきました。結論から書くと、これはおススメです。とくに特別夜間展示が行われている8/31までにいきましょう!この展覧会自体は10/1まで続きますが、期間中は一部を除き写真撮影がOKですので、なるべく良いカメラをお忘れなく!私みたいにケータイ(妻のWX310K)のカメラじゃもったいないですよ。
ラリックアールデコな鏡
旧朝香宮邸やラリックのガラス作品、アンリ・ラパンの内装について改めてつまびらかにすることはあえてしません。すでに色々なサイトやメディアで語られていることですので。私が感じたことだけ、書きたいと思います。
よく言われることでしょうが、私は以前から文化は2種類に分けられる、と考えていました。一つは「格差文化」とでもいいましょうか、貴族や富豪と行った特権階級が財力や権力、優雅な暮らしの有り余る時間にモノを言わせて築いた文化です。社会格差が文化や芸術を育むわけですね。ヨーロッパの古典絵画とか、日本なら狩野派の屏風絵とか、「源氏物語絵巻」みたいな絵巻物が好例です。「源氏物語絵巻」を現代に置き換えれば、気に入ったマンガのアニメをポケットマネーでスタジオジプリにつくらせて自分専用で観てる、みたいなもんで、ものすごい贅沢です。
一方は「大衆文化」ですよね。産業革命や貨幣経済の発展で、豊かな中産階級が勃興し「社会の大多数が人生を楽しめるようになって」から生まれた文化芸術で、産業による生産や複製を前提にしています。ジャズやロックといったポピュラーミュージック、マンガやアニメ、テレビ、古くは日本の浮世絵ですね。よく言われることですが、浮世絵のコンテンツは各地の名所や人気歌舞伎俳優、美人で評判の町娘で、それが版画で大量に刷られて販売されていた訳で、今で言えば写真週刊誌や旅行ガイドブックです。
旧朝香宮邸は、宮家の邸宅ですから、それ自体は「格差」によって生まれた物です。贅を尽しながらも決して下品ではないたたずまいは「朝香宮鳩彦王」の「宮家」という「生まれも育ちも別格」な出自に拠るところ大と感じます。(同じことは桂離宮でも感じます。残念ながら、氏素性とか育ちの良さには勝てない、というのが私の持論です)。
その一方で、この邸宅をつらぬく「アール・デコ」は、産業に根ざした大衆芸術運動です。この時代のラリックの大きな仕事にコティの香水瓶がありますが、コティの香水が「伯爵夫人からお針子まで」と言われていたことからも、アール・デコが「一部特権階級の物」ではなかったことがわかります。
とはいっても、戦後の大量生産品と比較すれば圧倒的に「工芸的」なわけで、この時代の「豊かな中産階級」のボリュームはあまり大きくはないのかもしれません。いずれにせよ、戦後の量産品では不可能な「工芸的な美」がこの邸宅に「モダンなのに、どこか贅沢で重厚」な品格を与えているもう一つの要因でしょう。
つまりは、この朝香宮邸は、宮家という特権階級が作った、アール・デコ=当時の大衆文化を真空パックしたタイムカプセルなのです。「格差文化」がはからずも、現代の私たちに過去の「大衆文化」を遺してくれたことに私は強い感銘を覚えます。「格差文化」と「大衆文化」はいわば車の両輪で、どちらかが高貴だからか良いとか、どちらかが多くの人に受け入れられているから価値があるとか、そういう議論は無意味なのです。
私自身、大衆の一人として、こよなく大衆文化を愛しています。アイドルや女子アナのチェックは欠かせないですし、「人生に最も影響を与えた物は?」と聞かれたら「機動戦士ガンダム!」と答えます。その一方で、桂離宮の繊細にしてリズミカルな建築美、円山応挙や長沢蘆雪の描く動植物の活き活きとした筆致にも深い感銘を受けます。一度きりの人生、このどちらかだけだじゃつまらないと思いませんか?
昨今「格差社会の到来」が叫ばれ、あたかも「格差」=「悪」という論調も目立ちますが、私は諸手をあげて賛成できません。戦後は「大衆文化」がリードして来た時代でした。これからは「格差社会」が新しい「格差が育む文化」を産み、「大衆文化」とともに発展する、そんな新しい時代の到来を私は期待しますし、その胎動を最近いろいろな場所に足を運ぶごとに感じます。
てなわけで、あすは「ガンプラエキスポ」で「大衆文化」にどっぷり浸かってきます(笑)。
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